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土田城址(172m) (大脇→NO.10鉄塔→出丸跡→本丸跡→大脇)登山道地図はこちら 登山日:2003年7月20日 登山口:岐阜県可児市
天候:晴れ テーマ:新規開拓 ガイドブック:たぶん存在しない 同行者:単独 時間記録:周回……1時間55分 (標準コースタイム:?分)
![]() 【古城めぐり】
【土田城について】 文明年間(1469〜1486)土田氏が築城。天正2年(1574)織田信長に仕えるため土田を退去閉城。織田信長の母土田御前の出生地。(登山口案内石柱より) 【大脇】 出発が遅れたので大脇登山口は鳩吹山の登山者の車でいっぱいである。適当な路肩に駐車させていただき出発。城山の登山口はいくつかあるようだが、今回は立派な石柱のある北側から出発することにした。すぐに遊歩道略図が現れ、よく整備されているのかなと思う(勘違いさせられる)。家に帰ってから調べたらこの遊歩道略図からも登れることを知ったが、現地では全く気がつかなかった。
【遊歩道】 遊歩道は本日誰も歩いていないようで、いきなり蜘蛛の巣の洗礼。今日は鳩吹山の延長のつもりで半そで短パンで来たので蜘蛛の巣などがあると体にまとわりついて非常に気になる。片側が岩、片側が川の道が続き、なかなか風情がある。
【金子山出丸跡分岐】
【鉄塔分岐】 道は竹林になり、いろいろなトンボが飛んでいる。中でも蝶のように飛ぶ真っ黒な細いトンボがたくさんいた。写真を撮ろうと頑張ったが、警戒心が強く近寄れなかった。今度は鉄塔の巡視路の分岐に出た。どこで曲がるべきだかよく分からないのでもう少し先に行ってみる。
【虹ヶ丘橋】 遊歩道はずっと可児川に沿ってついている。頭上に橋が現れて、それをくぐって地上に出てみると虹ヶ丘橋の場所だった。正面には社会保険病院がそびえたっている。これではさすがに行き過ぎである。出丸分岐の看板があった場所の登山道はよく分からなかったので、鉄塔分岐の道まで戻り、高度を稼ぐことにした。
【巡視路経由】 夜に咲くという待宵草(マツヨイグサ)が咲いていた。待宵草は小生の誕生花(7/22)である。竹久夢二が「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ」と歌ったところから名付けられたという。 5種類以上のトンボと戯れながら歩くが、相変わらず蜘蛛の巣が多くて苦労する。途中で展望がよい場所が何箇所かあった。
【謎の分岐】 鉄塔巡視路特有のゴム階段が各地にあり、歩きやすいものの、草が道にはみ出てきているので歩きやすくは無い。立ち止まると蚊がいっせいに寄ってくるのも困ってしまった。鉄塔NO.8とNO.9を見て、しばらく尾根歩きをすると謎の分岐が現れた。さてさてどっちに行ったものか!?
【鉄塔NO.10へ】
【遊歩道と合流】
【出丸跡】
【展望岩】 出丸跡から一旦降りる。鞍部のあたりに展望抜群の岩があり、登ってみた。可児市が一望できた。展望がよい日なら御嶽山も見えるだろう。振り返ると出丸のピークがそびえたったいる。終始蜘蛛の巣を払いながら登りを終えると本丸跡である。
【本丸跡】 本丸跡がこの山塊の頂上ということになる。頂上からはアンテナ2本立つ鳩吹山が見えた。他の方面は頂上から少し移動しないと見えない。山頂には案内板がなかったが、少し降りたところに解説版があった。「城外四囲は断崖絶壁、急転直下、東一帯が本丸跡、さらに北に延びる尾根は出丸曲輪跡、ここから眺める展望は絶佳。南面に残る僅かな石積が五百年の歴史を語る。北面に戦国の世重要視された火薬庫跡崩れ残れる。つわ者どもが夢の跡」と書いてあった。残念ながら石積と火薬庫跡は最後まで分からなかった。
【適当に下山】
【総評】 ・登山道は鳩吹山と同じくよく人が入っているものだと考えていたがまったくの別物だった。登山者はあまり来ないようで、現在では大脇=鳩吹山の登山口という等式が完全に成立しているのかもしれない。 ・たくさんの種類のトンボに会えた。 ・草の茂る時期はお勧めできない。 ・登山情報が少ない。「御岳が見える里山」さんや「HANAPYの広場」さんのページが参考になる。 |